気が重い
長期入院
入院して2週間が過ぎた。免疫療法の副作用に大当たりしたリウマチ性多発筋痛症。きわめて厄介な病気。筋肉・筋が激痛を起こすのだから。現在文字の入力は音声入力で主にブログを書いている。
なかなか日常生活に戻れる程度の痛みに戻れない。薬物の投与変更や、投与量の変更など様々な事を限られた治療薬の中で模索している。その間、当然ながら激痛と戦う。医者も薬剤師も看護師も見守るだけ。私は激痛でうなるだけ。
全能CT検査
ステロイド剤の効果を早く見せてほしいところだが、時間がかかるものでもあるらしい。そうこうしているうちに癌の進行が気になる。どうか落ち着いていてほしいと願うばかりだ。今日、CT検査をした。てっきり腰回りと思っていたら、検査表に「全脳」と書かれているではないか。脳への転移?一応チェックらしい。次から次へと不安と痛みが襲い掛かる。
受け入れて行く
まだ自分には限りない自由と運を持っているとは思うが、病状、現状の中で現実を一つ一つ受け入れて行かなければならなくなってきている。グーグルフォトアルバムやデーターベースも痛みの合間に断捨離している。ついこの間まで整理してきた親の遺品や写真の数々。もう私だけの思い出も限度が近づいてきたように思えたからだ。やっぱりいらないもの。親が亡くなった時同時に焼却すべきだと思う。具体的な夢行動のメモなども現実的に不可能が増えてきた。とにかく悲しいかなリストから削除。すっきりして毎日を過ごしていきたい。
余命の延長に神の薬
神に思えた時
劇的な効果とは知らさせていたが、早朝の激痛の中、目をつむっている間に、からだ中の痛みが消えていく様を感じた。暗闇から抜け出ていった。膠原病内科医の先生が神に思えた瞬間だ。そしてその神からの薬はステロイド内服薬プレドニン。
ありがたさと虚しさ
2ヶ月近い激痛の世界から抜け出せたことで、今は安どの気持ちでホッとしている。医学への感謝と医師への感謝。この気持ちと裏腹に現実が浮かび上がってきた。
もともとステージⅣの余命宣告されているがん患者であるという事実。化学療法の抗がん剤の副作用に侵され、効果なしと判断されてその後、画期的な免疫療法が始まった矢先にまさかの重篤な副作用に大当たり。
今回の辛さはとんでもなかった。涙があふれた。悲しくてじゃなくて痛くてだ。余命を伸ばすためにこんなつらい思いをしなければならないのこかと。もし一日しか余命が伸びないなら2ヶ月間の地獄のような激痛の思いはしたくない。命尽きていいと2ヶ月間の激痛の中に感じたことだ。
深夜3時。ブログを書いている。この安ど感と安らぎはありがたい。余計なこと考えたくないものだ。生きている。それだけで幸せ。余計なこと考えちゃいけないのかもしれない。今の自分に与えられた運命のこの時間はそういう時間なのかもしれない。
今度は神の薬の副作用が発症しないことを祈る。
痛みの玄界灘
身体中に激痛。さらに激しい眠気と、吐気&嘔吐。人間ここまで来ると白旗だ。
主治医他、担当薬剤師、緩和ケアチーム、整形外科医、内科医らが私をみてくれている。
動けない
どうも癌の免疫療法の治療薬の副作用のようだ。体が激痛で動かないのだ。少しでも動くと激痛が走る。転移した骨のがん疼痛とは、別格のようだ。本来のがん疼痛はあるものの、全身の激痛の中に埋もれてしまっている。
格闘
副作用としての吐き気が少ない痛みを貼り薬と、頓服で調整しながら最終的医療用麻薬の量を決めるらしい。この間がまたまた痛さとの格闘だ。
我慢しながら待とう
体が激痛で動かないことほど辛いものはない。何もできないのだから。痛みがなければなんとか移動手段を選べば景色や食事だって楽しめる。激痛で動けないのが最悪た。何のために生きているんだろうと思う瞬間だ。 これから内科の診断だ。主治医の話によると治療法はあるらしい。我慢しながら格闘しながら楽になることを楽しみにしたい。
痛み
最大のストレス
骨に転移して、癌疼痛を経験して真実を知った。なんの真実かって?それは「痛み」が人として「最大の苦しみ」だってこと。痛みは人間最大のストレス。癌緩和ケアの方に言われたことを思い出した。
拷問は痛みを与える
歴史的に振り返ってみても世界の拷問は共通して「痛み」を与えている。なるほど・・・ってうなずく。私の場合の骨の癌疼痛はズキンズキンじゃなくて、ずっと痛い。要は切れ目のない痛み。そうやって考えてみれば、途中で痛みを止める拷問よりつらいかもしれない。
緩和ケアの役目
癌患者にとって痛み止めは神の薬。医療用麻薬の薬効はすごい。緩和ケアの最大の役目は末期の患者が日常生活を送れるように「痛み」を緩和させること。そのおかげで、癌患者であることを忘れさせていただけるわけだ。
このごろ
このごろ、現状の薬量では「痛み」を緩和させることができなくなってきた。先日も夜中に七転八倒の痛みに苦しんだ。薬量を増やすと痛みはましになる。それにしても「痛み」は食欲も意欲も無くなくしていく。本当に「痛み」を精神的にごまかすことはできないと知った。
今日も痛みのない一日でありますように。
朝方にやってくる嫌な気持ち
朝方の脳裏
もうすぐ夜が明ける。スマフォで桜の開花を確認。お花見場所をさがす。ワクワク感が楽しい。ついでに紅葉の季節はどこを見に行こうかと考えたとたんに脳裏に来るものがあった。それは「死」。俺のがん余命期限に紅葉の時期が当たるからだ。いきなり暗くなる。気持ちがふさぐ。
死を待つ
今のところ日常生活に問題はない。今を楽しく生きようとしている自分。もう一方では、余命が脳裏にチラチラとよぎる。そして「死を待つ」気持ちに心のスイッチが入る。
人間誰しも死を待つのはわかっている。でも余命宣告を受けているとの受けていないのでは違うし、いつかは来るであろう「死」を気持ち的には遠くにおいてごまかしているのが余命宣告を受けていない人間と思う。
私が「余命宣告」を受ける前までそうだった。「親の亡くなった歳まで生きる」などと笑いながら人と話していたことを思い出す。今では到底かなわないこととあきらめている。
考えてもしょうがない
楽しく生きる。燃え尽きるまで・・・・。言葉はカッコいいけど、いざ当事者となるとそうはいかないのも事実。それでも楽しく生きなきゃて毎日毎秒気持ちの格闘。考えてもしょうがない。こうやってつらい時は、ブログを書くことでまぎれるかな。それでいいんだよね。
今日も楽しく生きよう。
残念、無念、がんの進行が止まらない
残念 無念
がんの進行が止まらない。膀胱から転移した骨のがん。残念ながら経過観察の CT の結果が、残念ながら抗がん剤は効果がなかったという判断だった。
原発の膀胱がんについては落ち着いているのになんで!転移した骨のがんを含めて医者は抗がん剤は効かなかったと判断した。
免疫療法
ここ数年で承認になった免疫療法の薬の説明を受けた。免疫療法については以前に医者から話は聞いている。抗がん剤治療の結果で免疫療法の薬が変わってくる。今回の結果から薬が絞られたけど、延命効果が化学療法(抗がん剤)に比べ2〜3ヶ月伸びるという臨床結果が出てる薬。副作用についてはなかなか厳しい所見が多く見られている。
了承・了解はしたものの
CT結果受診の時は、取りあえず了承・了解しお願いはしたものの、果たして自分にとって余命が2~3ヶ月伸びることを選択すべきことなのか。もちろん統計的な中心値、平均ではあるけど・・・でも・・・・・
副作用などを考えるとその選択は、自分にとって価値のあるものなのかどうかって気がしてきた。
早い話どっちに転んでも死ぬ。それが2~3年先に伸びると言うなら気持ちも全然違う。延命2~3ヶ月・・・・・これは意味があるのか本当に悩む。
相談コーナー
担当医に苦言を言うつもりはない。甘えるわけじゃないけど、統計的な断定的な無味乾燥した回答しか返ってこない。医者の話では気持ちが暗すぎる。今後の心構えや決意、がんの死期のことについて色々と別始点で相談窓口で聞いてみようと思っている。
結果はどうであれ、自分としてモヤモヤした気持ちでなく、納得して前に進んでいきたい。
まだ体調はそこそこ悪くない。歩けるし、お酒も美味しく飲めるし食べれる。でも1日1日、死に近づいていることは間違いない事実。しかも近い将来の感じがする。
死ぬことの準備。「死に方用意」ってわけだ。旅行の準備ならうれしい。死ぬための準備なんてとんでもないってのが本音。
まだ受け入れる気持ちになりきれてない。今回の結果で心のともし火がまた小さくなった。