思い出はすべてデジタル化
親の遺品や自分の思い出の品が押し入れから出てきて手に取ってあの頃を思い出すときに感じたこと。
それは、モノ自体に思い出があるわけでなく、そのモノの姿見にあるということ。つまり立体である必要はないということ。
もっと言い方を変えれば、思い出すきっかけがあればいいということ。本で言えば目次のようなもの。
だから私は、思い出の品々、親の遺品である写真やモノのほとんどをデジタル化している。
そのモノのデジタルデーターは場所を一切取らない。色褪せない。そして見る場所を問わない。どこでも見れる。歩きながらでも、布団の中でも、電車バスの中でも。
今日もデジタル化しよう