おば~ちゃん!気持ちがよ~くわかるよ!
隣の病室からな何やら数名の看護師たちの優しく大きな看護の声がしてきた。高齢のおばあちゃんが騒いでる。看護師たちの看護しながら話を聞いていると、どうも病室から逃げ出したい様子。
たまたま飲み物を買いに行く時でおばあちゃんの病室の中がうかがえた。窓から出ようとしているおばあちゃん。
それを阻止しようと車いすに乗せようと必死な看護師たち。おばあちゃんは、看護師たちの手をつねり、かみついたり、それはそれは必至だった。
買い物から帰るときにはナースセンターの別室へ運ばれる時だった。おばあちゃんが僕を見ながら、大きな声で「助けておくれ 助けてくれ」と叫んだ時、僕は何も言えず、顔も無表情になっていた。どうしようもつかない自分に罪悪感まで感じるほどの瞬間だった。
わかるな、おばあちゃんの気持ち。私の場合は、のこのこと散歩できるし、病状的に体力的にはなんとかトイレ・シャワーも自分でできる。
さらに動画や電子ファイルの整理(クラウドデーター)やブログやフFacebook、ツイッター、家族や仲間とビデオチャットなどSNSでなんとか暇をつぶしてなんとかしているけど、基本的には病状のつらさ、ムズムズするような孤独感と嫌になるほどの暇な時間と空気感はたっぷりある。
高齢者にとってはとんでもない場所
ふと思った。高齢で中途半端に元気は、入院はたまらない世界だと思う。動体能力も落ち、好きなように動けず、ブログやFacebook、ツイッター、家族や仲間とビデオチャット。SNSで時間をつぶすなんて程遠い世界だろうし、昔ながらの生活にお慣れになっている高齢者は、それはそれは退屈で独房の中そのものなのかもしれない。
看護師さんも「私も1カ月ほど入院した経験があるけど、おばあちゃんの気持ちよくわかります」と言っていた。それぐらい長期入院はつらいってこと。
老人ホームの様に余暇やボランティア演出、コンサート、カラオケ、ゲームのようなことができる施設があれば、少しは入院生活も患者にとってどれほど気持ちの安らぐことか。
もちろん、病院は病気を治すところと断言されれば何も言えないし、現代において経営的に無理というのもわかる。
人間はロボットじゃないし、感情もある生物。病気の先は「死」が待っているわけでから、そんな患者にこそ、余暇的空気が必要。
長生きしていればそれでいいとは、やはり言い切れない。長期入院しながら痛いほど感じるこの頃です。